隠さないということ
通常は少し距離を開けて 時間的にも距離的にも 余裕がある関係がおおい。或る意味思いっきり向かい合うから 理想形に走ったり演じてしまったり 便利になってしまう関係になる。近すぎて見えすぎて飽きてしまうことさえあろう。それは人間として自然な行為と思う。だからこそ 目的が通常の形と異なる以上に 私からも人生を変えることを選んだ。家族という形を選ぶ以上に、相手の興味あることに参加すること。そして興味あることを「否定しないこと」または「静観すること」それまで、自他ともに認める仕事バカで自己中心的な時間や生活を送ってきた。それを変えてまでして 一人の女性を自分のものにするために 妻でなく奴隷化をした。桔梗という名前も最終形の正式な奴隷とした名前であって親御さんの付けた名前でなく俺のものにしたいから、見習いから仮奴隷 そして正式な奴隷とするときに付けた名前です。結婚という形式よりずっと前に正式な奴隷として生涯飼うと誓ったときにそれまでの生き方を変えていく約束をした。世間ではプロポーズという形式があるが、それ以上にずっと決意が強いものである。女にとって親を捨て、親の管理から離れて一人の男を信じていく過程と引き換えであったことは強く感じていたから、通常の恋愛とか結婚以前に、包み隠さず全てを見せる決断をした。まあ普通の家庭だけど、どの家のもあるようにいろんな事実もあり大事にお嬢様として育ててもらった若い桔梗にとってはつらい覚悟もあったと思う俺以外の男と結婚してたらもっと普通の当たり前な幸せを手に入れてたはずだから。そんな決断をして毎日自分たちのこと以外にも闘っていく中で作っている関係だからSMという形式でいえばちょっと特別かもしれないし 秘密ということを持たない関係であるスマホでも通帳でも全てオープンであるし だからこそ不安もあるかもしれない。自分の興味を省いてでも、奴隷の趣味に付き合うのも理解のためである。(おかげで家に蛇とイグアナと、キャラクター計り知れず、和服溢れな現状だがW)でもだからこそ 奴隷妻としての持つ可能性を引き出していくし私自身は日本の従来の妻としてでなくただただ生涯性処理玩具として いつでも犯していく。真っすぐすぎる価値を絶え間なく追及していることが私たちのSMかもしれない。
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